東野圭吾さん原作の「パラレルワールドラブストーリー」が映画公開されます。
様々なテイストの物語を描く東野圭吾さんの才能の凄さは、今更紹介するまでもありません。
生きていると必ず思うことがあります。
もしも、こうなっていなかったら、人生は何がいたのだろうか?と。
パラレルワールドラブストーリーのあらすじ
世界が分岐するまで、崇史と智彦は大の親友でした。
智彦は足が悪く、女性にも奥手の人物でしたが、ある日、彼女が出来たと麻由子を崇史に紹介しました。
智彦に彼女ができたことを喜ぶ崇史ですが、麻由子を紹介されて愕然となりました。
名前も素性も知らないけれど、行違う列車の窓で何度も見つめていた片思いの女性だったのです。
麻由子も列車ですれ違っていた自分を知っているようでした。
好きになったのは、智彦より先なのに!
嫉妬が崇史を苦しめました。
三人は同じ会社に勤め始めました。
三角関係に苦しむ崇史は、二つの世界線をさまよい始めます。
・崇史の親友・智彦が麻由子と恋人になっている世界
・主人公の崇史が麻由子と恋人になっている世界
です。
しかし、2つの世界を行き来しながら、崇史は2つの世界に綻びと矛盾があることに気が付き始めます。
パラレルワールドの迷路から崇史は脱出できるのでしょうか?
パラレルワールドラブストーリー原作をネタバレ!
ここからネタバレ含む内容となりますので、ご了承おねがいします。
崇史が2つの世界線と感じていたのは、記憶の改ざんが原因でした。
2つの世界が同時に存在していたわけではなく、「過去」と「現在」の記憶を改ざんしたことを崇史自身が混同していたのです。
麻由子は智彦の彼女でした。
崇史が麻由子を好きなことを知った智彦は、崇史に提案しました。
智彦が麻由子と付き合った記憶を消して欲しい、と。
そして崇史は麻由子と最初から付き合っていたということにする嘘の改ざんをしました。
崇史に記憶の消去を頼んだ智彦は、自らに更なる細工をします。
スリープ状態という目覚めない状態を智彦は選んだのです。
麻由子にふさわしいのは崇史だと、智彦も感じていたのです。
しかし、簡単に麻由子を崇史に譲れる気持ちになれない智彦は、麻由子と付き合った事実を消去することで、解決しようとします。
でも、記憶を失った世界で崇史と麻由子が付き合う側で生きることも、耐えがたく、智彦は「スリープ」状態に逃げたのです。
崇史は記憶の改ざんによって、麻由子と智彦が付き合った記憶を消去していたのですが、自身で改ざんした記憶がどんどん剥がれ落ちたことを、パラレルワールドとして認識していたのです。
原作は智彦がスリープ状態の中、崇史がパラレルワールドでなく、2つの世界が過去から現在に続くことに気が付いて終わります。
現実はどっち?
ネタバレ含む解説になりますことをご了承お願いします。
ストーリー展開は、過去と現在を同時並行のパラレルワールドと思い込んだ崇史の脳内での希望的な夢の世界が塗り替えた崇史の希望である現実の記憶を思い出していく過程です。
現実は、智彦が麻由子と付き合い、崇史が嫉妬したことから、三角関係に終止符をうつ物語でした。
彼女ができないと思っていた智彦に彼女ができて、その彼女が崇史の思い続けていた相手だった。
智彦は彼女と別れる辛さから逃避して自殺に近いスリープ状態に逃げ、智彦の負の行動を崇史は手助けして、麻由子とカップルになったというのが現実だったのです。
ここで、記憶の改ざんや仮想現実に関する会社が登場しますが、会社は悪の組織でないことはきちんと確認しておきたいポイントです。
会社の脳に対する研究や技術を否定するのが、この作品の目的ではないということです。
三角関係からの脱却に会社の研究を私用目的で利用したことが発端でした。
三角関係になった人間関係を、解消するために、先端技術をその弊害を無視して利用した男女3人の近未来の三角関係の結末という形で、安易な先端技術の利用の警鐘を訴えるストーリーでもあるのです。
先端技術には夢もあるけれど、悲劇も引き起こす可能性があります。
崇史のかけがえのない親友の智彦はスリープ状態という形で崇史から去ってしまいます。
ここで疑問になるのが、麻由子です。
麻由子は三角関係の中心で記憶改ざんに参加しませんでした。
過去から未来を追って「観察者」という立ち位置で経緯を見守っています。
様々な意見があることを承知しつつ、2人の天才を愛しながら、天才が本能のために開発した技術の被験者になるのを観察する立場というのは、普通の精神力で耐えられるのでしょうか?
おそらく科学者としての探求心が強ければ、愛以上の情熱を科学や研究に興味を持つ
世界の技術の次のステップへの代償と考えるならばー麻由子を理解できるかもしれません(でも、哀しい、哀しすぎるです;;)。
まとめ
世界の技術の進歩は常に、人が一般的に予想するよりとんでもなく暴走して開発される分野があることは事実です。
人が期待して注目する分野に隠れるように驚くほど進化する分野の会社に就職した3人の男女は、三角関係を新技術で解決しようとしました。
その弊害は首謀者である崇史をパラレルワールトに誘い、智彦は永遠の逃避に追いこみました。
三人の人間性にのみ問題のフォーカスの焦点をあてるだけでは、解決しない状況に現代の科学技術はきていることを認識して2019年の今、映画と原作をかみしめることに意味があるのだと思います。
そして批判の多い麻由子に対する弁護をあえてしてみます。
比較しがたい優秀な2人の研究者がいて、2人が三悪関係に決着をつけるために、確立していない技術で問題解決を画策するとき、2人の能力を守れないとき1人の能力を守ろうとする麻由子は「魔性の女」という一言で片付く存在なのでしょうか?
男たらしの麻由子の苦悩は、スピンオフで語られてもいい存在感を感じます。